澁澤龍彦:幻想文学館
近所の仙台市文学館に澁澤龍彦展を見に行った。
と、言っても、最初は見に行くつもりもなかったのである。
文学館にある、外観はなんてこたないカジュアルなレストランは、
その時々の展示にあわせて作家にちなんだ特別メニューを
出すようなちょっと粋なところがあるので、
そんなものを食べたり、
絵本スペースにねっころがってロクスケと絵本をよんだり、
裏の台原森林公園に分け入ったり、と、
文学館は何かと我が家の遊び場になっていて、
だから、今回もほんのついでで何の気になしに入ったのである。
それに、僕が学部学生の頃は澁澤龍彦が死んだ直後で
なにかと目に触れる機会が設けられていたし、
また、学生にとって直接的には、河出書房から
著作が続々文庫化されたことが契機になって
(それにもちろんすごく面白かったので)
僕だけじゃなく、ほとんど教養になってるといってよいほど、
周囲でよく読まれていたし、
(なんてったって、今はなくなってしまった母校には
高山宏先生がいらしたのでね!!)
80年代的シンプルライフのゆりもどしとしての
バロック、マニエリスム、博物学的なものの復権が
なんとなく世の中の空気の中にあったし、
そんな風に、個人史の中である時代を
鮮やかに彩る人物であった分、
それらが僕の中で相対化されていくにつれて、
澁澤龍彦は僕の中で過去のものになっていたのである。
トコロガコレガオモシロカッタ
(C東海林さだお)
写真や原稿はもちろん、鎌倉の澁澤邸に飾ってあった件のオウムガイや、
トレードマークのセルフレーム、銀座で仕立てたスーツ(小柄!)などの数々の遺品、
そして何といっても堀内誠一、三島由紀夫、稲垣足穂らと交わしたたくさんの書簡!
すげぇレベル高ぇと思ったら、監修は巖谷國士だった。
濃厚な空間、ほとんど人がいない贅沢。
最初は、みぃこが見とこうかと言い出したのに、
ぐずるロクスケをみぃこにまかせ、
言葉通り妻子そっちのけで堪能してしまった。
人生に対するありきたりな見解ではあるけれど、
歳を経ると、若い頃に訳もわからず
とにかくなにかに惹かれて近づいた事物の
意味や理由が見えてくることがある。
怪異だ、耽美だ、バロックだなんてこたぁどうでもよくて、
特に遺作になった「高岡親王航海記」に見られる澁澤龍彦は
僕からいわせれば吉田健一と同じ系譜につらなる、
僕にとっての最重要人物の一人であることを、
「あのころ」から20年たって再発見してしまったのである。
ディスカッション
コメント一覧
おお、そんな展覧会が行われていることすら知りませんでした。私にとっての澁澤は第一にサドの訳者でありデュシャンピアンの日本代表ですが(笑)、『航海記』もよかったですね。
おれも行く。しかし、いつ行けるかなあ。
そうそう!澁澤といえば
まずはデュシャン、そしてベルメール!から
ってかんじでしたよね。
サドは今こそその粋と戦闘性が理解できるかなぁと
思われてまた読んでみたいと思ってます。
(やはり若い頃は雑念がじゃまして(笑))
ヨーロッパ旅行を経て「日本」に着地する流れに
すごく共感してます。
贅沢な時間を身近なところで味わえるのって
ほんっと贅沢感が増しますよね。
てかワタシ今頃高山宏ブームなんですよ。
mixi日記に載せた近影にヤラレタ。
サングラスをかけて
(たぶんほんとにまぶしかったんだとおもう)
ふらふら~っと風ふかれるまま
って体でキャンパス歩いてました。
紙パックの牛乳飲みながら
立つのがやっとってかんじで
授業は、17世紀文学について
左上から右下まで小さな字で
びっしり板書×5で1コマ
全然消化できない密度で
訳わかんなかったけど、
mixiで書かれてたみたいな、
(写真すげぇスね)
「真理や真実ではできてない人間」
というものをゴツンと投げつけられた、
そんな感じでした
「トリストラムシャンディがさぁ」とかいって、
むちゃくちゃ高い天井に向けて
背伸びできたのは幸せだったなぁ