そのときどきの入り口

TMのひとの逮捕はあんまりびっくりしない。僕にとってはずっとそんな感じがするひとだったから。みぃこも「あ〜、やっぱね、ってかんじだよね」と言ってたので、世代的にある程度共有できる印象かもしれない。まあ、キホンどうでもいいんだけど。

でも、僕よりちょっと年齢が若いひとたち、とくに今聞いている音楽では趣味が合うようなひとたちで、TMNから入ったっていう人は結構多いので彼らはどう感じているだろう。

僕にしてみれば、そんなわけで、TMNから音楽に入る感じが全然分からないんだけど、なにか先端的な感じ、アンチな感じ、人とはちょっと違う感じ、を投影できる音楽が時代時代にあって、その一つが彼らの時はTMNだった、ということなのかもしれない(まあ単にヤングアンセムの投影先ってことでもあったろうけど)。最近は見かけないけど、そしてこれも全然理解できないんだけけど、サノモトハル神って人たちもいたなぁ。

まあね。

人の入り口をとやかくいうつもりはないですが、自分の事を振り返ったとき、小学生のときYMOでスネークマンショーでつくづくよかったなぁ、とは思う。このような場合、時間がたつことで評価の定まった過去の状況を故意あるいは無意識的に自分の属性と取り違えて自慢するというのがとられがちな行動ですが、そうでは決して無くて、これは「僥倖」であり、「僥倖」として感じられることは僥倖だなぁと思うし、そこから大げさに言えば世代的使命みたいなものさえ感じてしまうことがあると言えばやっぱり言い過ぎかもしれないけど。

自分の属性としての趣味としては恥ずかしいことはたくさんある。ライブハウスは別として大箱で「ライブ」として、というか「コンサート」として見に行った最初のコンサートはレインボーだしなぁ。リッッチ〜〜とか叫んでた。カシオペアとか歌謡フュージョンにどっぷりだったし。僕にとってFM音源の音が象徴するのはどっちかいうと向谷実です。ベストヒットUSAで適度に解毒されつつ(かなり早い段階でヒップホップとかハウスとかの動向を紹介してたし、スクラッチの実演紹介wとかしてたのを思い出した。すごい番組だったと思う)、好きな女子にThe Jamに導かれなかったら今頃どうなっていたことか、とゾッとする。とはいえ、ポール・ウェラーは既にスタカンで、勇んで出かけた新国技館(デートね)ではダブルのスーツで高らかに歌い上げてて「えーと・・」という感じだったのですが。

まあカシオペアがなぜ恥ずかしいかは、その後のインディーで、宝島で、フールメな(これはこれで恥ずかしい)カシオペアが好きとは口が裂けても言えない高校生活というものをふまえないとご理解いただけないとは思います。なにより、せっかくYMOから入りつつ(というか実はその前にビートルズなんだけど、こちらはリアルタイムじゃないので)、はっぴぃえんどに遡航したり、ブラック・ミュージックに旅立ったり、アイドルを掘り下げたりって方向に行かずに、フュージョンだのハードロックだのにうつつを抜かす、というのは知的に音楽と関わっていなかった動かぬ証拠であり、マチゾーさんが随分前に「フュージョンほど音楽的遺産を残さなかった音楽はない」と言っていてホントにそうだなと思うけど、随分フィジカルなおつきあいしか出来てなかったなと思う。まあ今となっては、過剰な80年代にぴったりよりそわずバカな子供でいられてよかったと思える面もないことはないんだけど、ともあれ、10代というのはまったくバカバカしいものでございます。

日日雑記

Posted by Takuro