ソバー茶店

あいつどうしてるかな、
こっちが別にいいよっつったって
もう前みたいに飲んだりは出来ないのかな、
と時たまそんな風に思い出したりしてたんだけど、

突然、電話があって少しずつでも返したいという。

「信じていた」なんて大げさなもんではないけど、
それでも、なんというか、むしろ感謝したい気持ちで、
おごるぜ、といって仙台浅草で乾杯する。

「おいしいです。ほんとに」といって
神妙な顔で少しずつビールを飲みながら

わっはっは、そりゃひでぇなー、と
ホントに笑うしかないというような
まるでマンガか小説みたいな
これまでのすごい生活の話をしてくれ、そして、

「今はこんなことしてるんです」といって
差し出した名刺の肩書きがまた、
ちょっと出来すぎじゃね?ってくらいの落差で。
(「落」差じゃないか)

「僕には人しかないんだって分かって
今一人ずつ回って少しずつ返してるんです」

なかなか出来ることではないと思う。

「僕が正気を保つために行く喫茶店があるんです。
最後にそこでコーヒーおごらせてください」
というんで、勾当台まで。

途中、2年前一緒に行ったことのある
イタリアワイン屋の話になり、
久しぶりに行ってみますか、と寄り道。

砂肝をバルサミコ酢とトマトで炒めあえに
したものと、口の中でその味と落差なく
完全に地続きになるやや濃厚な白ワイン。

その店でも、最後の茶店でも、
カウンターの一番端っこに陣取って
一人でワインやコーヒーを飲む
若い衆がいた。ヒトがヒトである限り
こういう人たちがいなくなることはないのだろう。

「僕ほんとにバカなんです。
やっちゃいけない人たちのところに
わざわざいってやっちゃうんです」
イタリアワイン屋でも、茶店でも
他のお店でも、随分「やっかいに」なってきたらしい。

生活が落ち着いた今でも
先週チベットで彼の友人が死んだ(!)ときは
やっぱり茶店で荒れてしまったようだ。

それでも、どちらの店でも知らん顔して
受け入れてくれていた。

彼の、何をやらかしてもまた出かけていくその姿は
なにか修行をしてるようにも見えたのだが、

そんな風に受け入れてくれるのは
店が大らかだからということももちろんあるけど、
やはり、そいつの何かが、周囲に
なにかしら共感を呼ぶからなのだろう。

定禅寺通り沿いの2回にあるその喫茶店の
コーヒーは、甘くて苦くて濃くて本当においしくて、
仙台でようやく「茶店」を見つけた思いで、
国立の邪宗門でぬくぬくとしてたときと同じように
本当にゆったりと落ち着いてしまう。

ここにはきっとまた来てしまうだろう。

僕にだって正気を保つすべが必要な時はある。

日日雑記

Posted by Takuro