金売り吉次をめぐる旅は まだつづいている

2020/01/17

お正月、東京からの帰り、東北道を福島の白河で降りる。

目的は「金売り吉次三兄弟の墓」であります。
宮城県栗原市金成で、ぐうぜん吉次兄弟のお父さんお母さんの墓 を見つけた記事は
以前に書きましたが、こちらは検索していてチャンスあったら行こうと思ってた場所。

お正月降った雪が残ってまして、八幡神社に車を停めてから 歩きにくかったし、どこに墓があるのか?わからなくて、行きつ戻りつしながら、みっけ〜。

看板が出てるから、たまぁ〜にやってくる人がいるんやろね。

吉次ファン?そんな人としゃべってみたいわ。

あったあった〜!

画像検索でみていた三兄弟の墓〜♥

林の中に三つ並んで。

この林は当時から変わらないのだろうか?

雪に足跡がすでについてたから、
ご挨拶にいらっしゃる近所の方もいるみたいで、なんかうれしい。

奥州出身の吉次は
奥州で採れた金を 京都に売りさばきに行く商人ですが、奥州まで旅の道連れに義経がいるんですな。
義経と奥州が結ぶつくのにかかせん人ですねん。
吉次の商い道中、
近江 鏡ヶ宿での義経の盗賊退治は
色々なところで語られてますが、
ふむ、義経連れてないとき、ここ白河で盗賊にやられてなくなったんやね。
全面的に信じてもあかんけど、なんか説得力あるぅ〜思いました。

上の看板にある、兄弟が弔われた八幡神社は ここやろね。車停めたとこです。
鍵がかかってたから、賽銭投げ入れて合掌。

神社の横に こんな看板が出てました。

シーベルトに関して。
外に長くいないように!と。
切ないね。

吾妻鏡は あまりに長いので、
司馬さんの「義経」読んでみた。

奥州藤原氏と、京都の関係が 何となくわかってきたんやけど、「白河の関」を鎌倉時代寸前の人たちがどうみていたか!ってのも 書かれてるんねん。

日本の最北。そこから先は寒く民族(蝦夷)も違って、
えたいがしれんような!
なんかちょっとあこがれの場所。
今で言うたら、外国への扉!みたいな。
超えたいような、怖いような!そんな場所みたいやね。

宮城県多賀城市も そんな場所やったみたいやけどね〜。[/vc_column_text][/vc_column][/vc_row]