贈りもの

人が書いたものを読むとき
著者の存在をそこに感じてしまうことがあって、
そのことを言い表すために「体温」とか「息づかい」とかの
常套句を使うのはなんかちょっと違う気がするのだが、
この言葉は確かにそのときその人によって書かれたものである
という妙な確信めいたものを単に事実としてではなく
体感として感じてしまうことがあって、
ああ、だから「声として聞こえる」というのが近いのかもしれないけど、

それをはっきりと意識したのは震災後に
とにかく読まずにはおれないという気持ちになっていたときに
(この状態は今でも続いているのだが)
第二次大戦の破局を前にして書かれたユングのエッセイ
『現代史によせて』を読んでいたときのことだ。

ユングはその序文で、時には政治的なことにも
言及することに対して「ときに職業の枠を踏みこえても、
それが公衆の利益になるのならば」と弁解めいたことを
前置きしているのだが、とんでもない、
あなたがこの文章を残していてくれて本当によかった、
とそんなふうに思わず呼びかけてしまったとき
ユングは確かにそこにいたのである。

日日雑記

Posted by Takuro