犬の目の人

2012/01/25

金井美恵子が武田百合子の追悼抄の中で彼女を
犬の目の人、と評していて

金井美恵子はこの言葉を、
男性作家たちが(ごく近しい埴谷雄高みたいな人までが)
を「無垢」や「女性性」のファンタジーにおいて語り
また自分とは関係ない安全圏においてしまおうと
することへのいらだちも込めつつ
賛辞として武田百合子に送っている。

先日、wowの鹿野護さんに
鹿野さん個人名義での近作や物作りの考えかたを
伺ったインタビューの中で
僕は鹿野さんが展開する思索のことを
「世界に向けるピュアな視線」ととりあえず言ってみたのだが、
そこには金井美恵子が。。を評したときの
「犬の目」のことが念頭にあり、ばかみたいに
あっけらかんとピュアなどと言ってるわけではないことを、

ここでちょっと言い訳させてほしいのである。
(だって限られた時間の中でいきなり
「鹿野さんは『犬の目』をお持ちですよね」
なんて言えないじゃん)

しかしそのインタビューを載せた記事の中では
「デザインや物作りのとても大切な役割が示唆された」
などと冷静に語っているが、実は飛び上がって
ガシィッと握手したいくらい熱くなって聞いていたのである。

なにをするにも「イベント」化せざるをえない
状況にいい加減うんざりしていたし
(多くの場合それは方便としてとらえられているので、
イベント自体をだめだというつもりは全然ないのですが)
どう考えても、いかに「個人的であるか」のほうが
これからはチャレンジだなと思っていたところだったので、
鹿野さんが
とおっしゃったのが見事に響いてしまったのだ。

まあそういう個人史的なことはともかく、
さらにビックリしてしまったのは、

「個人的に生きる」上で、我々が世界を知ろうと
することの根源性についてヒントがほしくて
レヴィ=ストロース『野生の思考』を手にとっていたのだが、

その中で「野生の思考(僕的には個人レベルで
世界を知ろうとすることと同義である)」の
操作媒体としての映像の役割という啓示を
(スタフォードの映像=メタファーというところとも
ガチンとつながって)受けた矢先のことだったので、

(レヴィ=ストロース先生は、
エンジニアは「概念」を操作するが
野生の思考を実践する「ブリコルール」は「記号」を操作する
と述べておられる!)

そのことがドンピシャのタイミングで、
まさに実践されて
「生きて動いている人」として目の前に現れたので、
飛び上がるくらいびっくりして
そしてうれしかったのである。

インタビューしながらハァハァいいはじめたら
さすがに誤解されてしまうので、
冷静を装うのが大変だったほどである。

しかし、犬の目、なんて訳わからんことを言われた上に
「かのさんって「野生の思考」を実践されてますよねっ!」
などと言われたらいかに温厚な鹿野さんといえども
ドン引かれるとおもうので、

レヴィ=ストロースの『野生の思考』を
是非、読んでいただきたいなぁと思って
タイミングを見計らっているところなのだが
(いま鹿野さんには各方面から本のおすすめが殺到しているのである。
おすすめが殺到というのは考えてみればすごいことなのだが
もちろんこれは「犬の目」に呼応してのことである)
どうも中沢新一先生『森のバロック』まで
きているらしいのでシメシメと思っているところなのである。

エスキス

Posted by Takuro