デ情概論鼎談企画『シンクロニシティI・II』

週明け17日4限目は『デザイン情報概論』という
1年生向けのショーケース的なオムニバス授業の中での
中田先生、土岐先生との鼎談プログラム
『シンクロニシティI・II』の第2回目が予定されている。

統括の蒔苗先生情報によれば、学科1学年100人のところ、
すでに200人近い履修登録があったとのこと。
どこからくるのだ??

このシンクロニシティというタイトルは中田先生が
The Policeの1983年のアルバムタイトル曲に着想を得て命名したものだが、
僕ら3人の世代的バックグラウンドを暗示しつつ、
構成もぴったりだし(ご存じのとおり、このアルバムには
シンクロニシティIとIIという2つのアルバムタイトル曲が含まれる)、
それになにより、何らかの「意気投合ぶり」を
介在させることによってしか対談なり鼎談は興行として
成立しないんではないかと僕は思っているので、
改めてとってもいいタイトルだったなぁと思う。

4月19日の第1回目では、
ジャンルの境界の溶け具合をある程度具体的に示すことができて、
なぜ「デザイン情報」なる概念を構想しなければならなかったか、
というところに(お二人のおかげで^^;)なんとか着地できたと思うんだけど、
((インカム風)ヘッドマイクを装着しての物部先生の
ノリノリの前説も素晴らしかった!)

2回目では、まずtwitterのハシュタグを設定しつつw、
東北大の本江先生のtweetで知った東京圏の人工集積ぶりのことや、
僕が最近いろんなところで好んで話題にしている、一方での
総務省統計による100年後の日本の人口推計なんかをネタに、
ustreamやmyspaceなどでおきていることをからめて、
「これから」を考えていけたらいいな、なんて自分では思っているけど、
3人で実際なににシンクロしていってしまうかは
予断を許さないところであるw

(昨年楽屋で盛り上がりすぎてしまった反省で
今年はあまり打ち合わせしすぎないようにしているのである)

ところで、1回目が終わったあとの小レポートで今年も

「横文字の言葉が多すぎてわかりにくい」

というご意見が寄せられた。今年は名指しではなかったけど
(昨年は名指し^^;)これはきっと僕のことです。申し訳ない。

実態以上に嫌なヤローだと思われるのもなんなので言っとくと
実際には「ジャーゴンを振りかざす」と言えるほどのことは
決してしていないと思うし、それに

ここのところやや増えているようにも思う同じようなクレームが
本当に訴えたいことは「横文字の言葉」を使うかどうかということとは
また別のところにあるのではないかとニラんでいる。

たぶん、彼・彼女は異口同音に

「分からせろ!」

と言っているのである。そして、そうなのだとしたら、
「横文字」の使用をやめ、どれだけ「わかりやすく」構造化に
努めようとも彼・彼女のイライラは
(たいてい行間にイライラをにじませているのである)
いつまでも解消されないだろう。

というのも、
(「ああ分かった!」という身体感覚を持っている人には説明不要なのだが)
「分かる」というのはその人の中で「起こる」変化である
という意味で「能動的」なものなのだが、
「分からせろ」と主張するような人たちはそれを自分の外から
「やってくる」情報のようなものだと誤解してしまっていて、

そのためいつまでも「分かる」ために必要な能動性が発揮されず、
一方でこれから分からなければならなよいような
自分にとって未知のことがらは当然のことながら
「情報」としては解読不能なわけで、その結果
「わかりやすさ」を求め続ける限りいつまでも
「分からない」というなんとも苦しい負のループに
入り込んでしまう、ということなんではないかと思うからである。
(それでイライラしているんだとおもう)

まあ一言で言って彼・彼女が「分かる」とはどういうことか
について持っているモデルが間違っているわけですが、

自分がまだ理解していないような新規の事柄が、
既知の言葉と構造だけで表現されているべきだ、
ってのがどんだけ無茶苦茶言ってるかってことに、
彼・彼女が全然気づかないのはたぶん
「ああ分かった!」っていう体験が薄いからなのだろう。

ということで、先述のようなクレームが深層で求めていることには
授業のカイゼンということではたぶんお応えできないので、
(本当の意味で応えるためにはどうしたらいいかに
ついては別途考えているのだけど)

やっぱり次回も
シンクロしながらダイブして引き上げてきたものに
「横文字」のタグをつけつつ 「検索かけてね」と目配せで手渡す、
ということをしてしまうような気がしています。

あっ

やっぱり何をいってるのかよく分かりませんねw

日日雑記

Posted by Takuro